長女の誕生日に、我が家にたまごっちがやってきた。

……いや、正確に言うと2台やってきた。

今回のたまごっちは「通信できる」が売りのやつで、通信をするには相手がいる。
そりゃそうだ。1台では通信できん。

周りにたまごっちを持っているお友達がいるわけでもなかったので、夫が「じゃあ2台あればできるやん」と買ってきてくれた。

1台は長女用。
そしてもう1台は、「ママも遊んでみて」という、やさしい言葉でラッピングされた実質業務委託だった。

最初はほんの付き添いのつもりだった。
子どもが楽しめればいいか、くらいの気持ちだった。

でも気づけば、食事、トイレ、機嫌取り、遊び相手、シッター手配まで担う、たまごっち界の主担当になっていた。

導入担当は夫。
夢を語るのは長女。
つまみをくるくる回してズームイン・ズームアウトを楽しむのは3歳の末っ子。
そして実務を回すのは、私だった。

たまごっち界にも、業務の偏りはある。

気づけば、子どもより私のほうが本気だった

小学生って、こういうの最初はめっちゃ盛り上がる。
でも、わりとすぐ別の楽しいものが現れる。

一方でたまごっちは、こっちがちょっと目を離したすきにお腹を空かせ、機嫌を悪くし、トイレを失敗し、ピッポーピロリと呼んでくる。

気軽に始めたはずなのに、全然気軽じゃない。

しかも、私のたまごっち「くららっち」が、まあかわいかった。

クラゲの格好をしていて、見た目からしてもうずるい。
広場みたいなところで遊具で遊んでいる姿もかわいい。
普段は不機嫌な顔をして怒っていても、それすらだんだん愛おしくなってくる。

デジタルのはずなのに、ちゃんと「うちの子」感が出てくるから不思議だ。

一度電池を抜いたのは、見捨てたかったからじゃない

とはいえ、去年の秋ごろだったか、さすがに仕事と子ども3人の世話で手いっぱいになった。

リアルの子どもが3人おるのに、さらにデジタルでも子どもみたいなお世話をするのは、なかなかに重い。

しかも私は、たまごっちをただ放置して死なせるのがどうしても嫌だった。

だからあるとき、くららっちが元気いっぱい、ごはんもしっかり食べて、ご機嫌も満タンの状態で、そっと電池を抜いた。

「ごめん、今はもう見きれん」
でも同時に
「せめて元気なまま休眠してもらいたい」
みたいな気持ちだった。

あれは見捨てたんじゃなくて、私なりの延命措置というか、凍結保存というか。
なんにせよ、あのときの私は本気で死なせたくなかった。

そして数日前、くららっちは復活した

もうこのまま遊ばないかなと思っていたところ、数日前に3歳の末っ子が言い出した。

「たまごっちしたい」

そんなわけで、久しぶりに電池を入れた。
するとくららっち、何事もなかったかのように復活。

その時点ですでにかなりのご長寿で、70代後半から80代に入っていた。

すると長女が横から言う。

「くららっち100歳目指して頑張って!」

お前が世話しろよ、と思った。
でもまあ、はいはい頑張りますよ、と私はまた主担当に戻った。

ちなみに末っ子は、たまごっちの何が楽しいのかというと、お世話ではない。
つまみをくるくる回して、ズームしたり戻したりするのが楽しいのである。

つまり、かわいいところだけつまみ食いして去っていくタイプ。

結果として、またしてもくららっちの暮らしは私の肩にかかってきた。

シッター制度まで使っていた私は、たぶんまあまあ本気だった

たまごっちには「たまシッター」という制度がある。

ごっちポイントを払うことで、夕方まで面倒を見てくれる。
最初これを知ったとき、「現代社会すぎるやろ」と思った。

でも使う。
めちゃくちゃ使う。

リアルでもシッター、デジタルでもシッター。
もう、使える制度は全部使う。

朝から夕方まではシッターさんに預け、夜は自分でみる。
たまに呼ばれたら駆けつける。
でももう80歳近くなってくると、なんだろう、育成というより、ちょっと介護に近い感じも出てくる。

60歳、70歳、80歳と年を重ねていくくららっちを見ながら、

「いやこれ、育成ゲームというより、だいぶ介護やな……」

と思ったことは、一度や二度ではない。

でも、それくらい毎日そこにいて、世話をしていた。

そして今日、くららっちは天に召された

今日の午前中、ちょっと仕事が立て込んでいた。

11時までに終わらせたい作業があって、しかも途中で「もらっていたデータが足りない」ということに気づいて、思っていたよりだいぶテンパった。

「あ、これ余裕ちゃうやつや」
「やばいやばい、終わらん」

そんな空気の中で、くららっちがいつものようにピッポーピロリと呼んできた。

たぶん、お腹が空いたとか、機嫌が悪いとか、そんな感じだったと思う。

でも私はそのとき、すぐに行けなかった。

いや、正確に言うと、行かなかった。

どうせ少し遅れて行っても、ごはんをあげれば戻る。
今までもそうだった。
ちょっと呼ばれて、少し待たせても、あとから取り返せていた。

だから今回も、そうだと思ってしまった。

そしたら急に、明るい音楽が流れ始めた。

悲しい音じゃない。
むしろ妙に明るい。
でも、なんかわかった。

「あ、これあかんやつや」

そう思って慌てて見に行ったら、くららっちが笑顔で立っていた。

そして、天使に連れられて、空へ続く階段をのぼっていった。

……いや、そんなの泣くやろ。

いつもは怒っていたのに、最後だけ笑顔なの、反則すぎる

普段のくららっちは、呼ばれて見に行くとだいたい不機嫌だった。

お腹が空いて怒ってたり、トイレの世話が間に合わずにうんちにまみれていたり、機嫌が悪くて「むう〜」みたいな顔をしていたり。

なのに、最後だけめちゃくちゃ穏やかな笑顔だった。

それがもう、本当に無理だった。

なんで最後だけそんな顔するん。
なんで最後だけそんなにきれいに送り出されるん。
なんで明るい音楽なん。
余計泣くやろ。

昔のたまごっちって、気づいたら「あれ、お墓建っとる?」みたいな感じだった気がする。

でも今のたまごっちパラダイス、別れの演出がちゃんとある。
しかもちゃんと刺してくる。

あれはあかん。
あれは、情が移った大人に見せたらあかんやつや。

33歳、たまごっちで号泣する

くららっちがいなくなって、私は普通に泣いた。

いや、自分でも思う。
33歳がたまごっちでこんなに泣くんか、と。

でも泣いたものは仕方がない。

だって82日間いたのだ。
82歳まで育ったのだ。
途中で電池を抜いてまで守ろうとしたし、シッターも使ったし、100歳を目指そうねと言われて、その気にもなっていた。

ゲームだから、また新しい卵はもらえる。
実際、くららっちがいなくなったあと、画面には「新しいたまごをもらいますか?」みたいな流れが出てきた。

でも私は、その卵が孵る前に、また電池を抜いた。

ごめん、今は無理。
まだ喪中。

くららっちを見送った直後に「はい次!」とは、とてもじゃないけどなれなかった。

たかがたまごっち、されどくららっち

こういうのって、外から見たら「ゲームやん」で終わる話かもしれない。

でも、毎日世話をして、毎日反応を見て、毎日ちょっとずつ情が移っていくと、もうそれはただのデータじゃない。

デジタルペットって、ほんまに「ペット」なんやなと思った。

そして同時に、「世話をする」って、案外すごいことなんやなとも思った。

相手が人間でも、動物でも、たまごっちでも、世話って時間も気力もいる。
かわいいだけじゃ続かない。
でも、その手間をかけた分だけ、ちゃんと愛着になる。

だからくららっちのことをこんなに悲しんでいる自分を、もう「やばい」とは思わないことにした。

そりゃ悲しいわ。
一緒に暮らしてたんやもん。

くららっちへ

くららっち、82日間ありがとう。

ごはんをあげて、機嫌をとって、トイレの世話をして、シッターさんも呼んで、できる範囲で大事にしてたつもりやったよ。

最後、すぐに見に行けなくてごめん。
100歳まで育てたかった。ほんまに。

クラゲの格好、めちゃくちゃかわいかったよ。
広場で遊んでる姿も好きやった。
怒った顔も、なんだかんだ好きやった。

たまごっちやのに、ここまで好きになると思ってなかった。
でも、くららっちはたしかに「うちの子」だったよ。

ありがとう。
できればもうちょっと、一緒にいたかったな。