「整ってない」は、じわじわ生活を削ってくる

思考のログでございます。
こっちに引っ越してきてから、ひしひしと感じとることがあって。改めてというか、別に改まってないんやけど、また毎度のごとく、思考のログです。
前の家は、プロの伴走で整いきっとった
前の家におった時、オンラインで収納整理のアドバイスというか、片付けの伴走みたいな4ヶ月のセッションをお願いしとったことがあって。画面越しに家の中の状況を見てもらいながら、「これはどうしたらいいかな」とか、「こうしたいけどうまくいかん」とか、一緒に考えてもらって、ものすごく整ったんですよね。
しかもその時点で、引っ越しすることはもうわかっとったから、「新しい家に行ったらここにこう置いて、ここはこう使って」みたいなところまで、かなり一緒に考えてもらっとったんです。
でも、実際にこっちに来てみたら、思っとった通りにはいかんことがいろいろ出てきました。
図面と現実、ちがうんよねぇ。
実際に住んでみたら、「思っとったんと違う」だらけ
たとえば、一階の南側の一番大きい窓のところ。もともとは、あそこを服の置き場として潰してしまう案もあったんですけど、やっぱり一番日が入る場所を潰すのは違うなと思ってやめました。この冬から春にかけて、自分は思っとる以上に日当たり重視なんやなって、すごく再認識したので。
本当は、お風呂も洗濯機も一階にあるし、脱いだり着たり、しまったりの動線を一階にまとめられたら楽なんやろうけど、結局服は二階に持っていくことになりました。
それ以外にも、台所が前より狭くなったとか、吊り戸棚が高すぎて日常使いできるのが下段だけになったとか、実際に暮らしてみて初めてわかる「思っとったんと違う」が積み重なっとります。
最近ヘルシオが来て、フライパンの出番もかなり減ったから、そういう使用頻度の低いものを上に逃がしたりはしとるんですけど、それでも全体として、まだ全然家が整いません。
一回「整いきった家」を知ってしまった
今の家って、両親に手伝ってもらって、とりあえず物を収めた状態ではあるんですよね。でも、そこから「今の暮らしに合う形」に私がちゃんと組み直せてない。
ほんとは一回全部見直して、今の家の動線に合わせて、今の自分たちの生活に合わせて、やりやすい形に戻していかんなんのです。
でも、それがしんどい。めんどくさい。手がつかん。その結果、仮置きのまま日々が進んでいきます。
わかっとるんよ。わかっとるんやけど、手がつかんのよ。
ただ、前の家で一回ちゃんと整いきった環境を経験してしまったからこそ、今の「整ってなさ」のしんどさが、ものすごくよくわかるんです。
整いきる前は、部屋がごちゃごちゃしとることで、ご飯作るのもなんかだるい、買い物から帰ってきてもうまく回らん、ぱっと見は生活できとるけど、ちょこちょこいろんなところがほころぶ、みたいな感じでした。
一個一個は小さい不具合なんやけど、それが積み重なると、本当はいらんはずの疲れが一日の中にどんどん溜まっていきます。
「なんもしてないのに疲れる」の正体、これやと思う。
しかも、見て見ぬふりしとるごちゃつきって、精神的にもじわじわ効いてくる。そのモヤモヤが、変なところで発散したくなる原因にもなります。
逆に、家が整いきったあとは、仕事も生活も回りやすくなりました。年末にかけて業務量がめちゃくちゃ増えてヒーヒー言っとったけど、それでもなんとなく日々が回っとったのは、環境が整っとったおかげやったんやろうなと思います。
表面的に楽するだけでは、根本解決にならんかった
前は、家事代行を頼もうかなとか、作り置きサービス使おうかなとか、「自分でやるのが億劫な部分を人にお願いして、なんとか回せんかな」と思っとった時期もありました。
でも今思うと、あれは表面的な解決やったんですよね。
そもそも戻す場所の仕組みがよくない。収納の前提が整ってない。本来そこに入らん量を無理やり押し込めようとしとる。そういうベースが整ってない状態で、「毎日きれいにしたい」「ちゃんと回したい」って思っても、そりゃ無理がきます。
仕組みが整ってないのに、気合いでなんとかしようとしてた。だから変な圧力がずっとかかっとったんやと思います。
家が整ってないと、脳のリソースを食われる
今、またまさにその状態に戻ってしまっとります。家が整ってないと、脳のリソースをめっちゃ食う。
「あそこのごちゃごちゃどうしよう」「なんでそこにそれ置いとるんやろ」「片付けたいけど今やる気が出ん」みたいなのが、ずーっと頭のバックグラウンドで回っとって、目の前のやらんなんことに集中できずに、どうでもいいYouTube見ちゃったりします。
だから、集中しようとか気合いを入れる前に、まず脳の裏でぐるぐる回っとるものを止めんなんのやと思う。そのためには、もう一回ゼロベースで立ち上げ直すしかないんですよね。
整ってないと、ストレスが増えて、お金も出ていく
さらに思うのが、家が整ってないと、家にいたくなくなるんですよね。
家におると、「あそこが気になる」「なんでこれここにあるんやろ」「また仮置きが増えとる」って、目に入るたびにモヤモヤする。そうすると人は、家から目を背けたくなる。で、家にいたくなくなって、外に出たくなります。
もちろん外でゼロ円で楽しく過ごせたらいいんですけど、ストレスが溜まっとる時って、なんかお金使いたくなるんよね。うちの場合は、物を買って発散するというより、外食に逃げやすい。外食って、家の中に物が増えるわけでもないし、「食事の代わりです」って顔をしながらできるから、すごく心理的ハードルの低い娯楽なんです。
うちはストレスが溜まると外食費が増えます。
「食事の代わりです」って顔した娯楽、こわい。
台所が整ってない、調理台が狭い、仮置きスペースがない、食洗機から上がってきた食器の戻し場所が決まってない。今までは棚に「ここにこう置く」があったのに、その棚が置けなくなって、ヘルシオの上に置いたり、冷蔵庫の上に置いたり、とにかく空いてるところに仮置き、みたいな状態になっとる。それが料理のしにくさに直結しとります。
目指すは、「はわはわ〜」っと置ける家
前の家では、もっと「はわはわ〜」っと置けたんですよね。キチキチじゃなくて、ポンポンポンっと気持ちよく置いていける感じ。あれ、うちでしか言わんのかもしれんけど、あの「はわはわ〜」っと置ける感じがすごく大事やったんです。
私が目指したいのは、まさにあれなんやと思う。いろんなものをはわはわ〜っと置いても、ごちゃつかん。「あ、それはそこやね」「これはここやね」が自然に決まっとる。動線も、グルーピングも、無理がない。
目指せ、はわはわ〜っと置ける家。
一回ちゃんとやったはずなのに、引っ越したらまたみんな解散しちゃうんですね。もう一回、「集合!」ってやらんなん。そう思っとります。
だから結局、家が整ってないとパフォーマンスが落ちる。パフォーマンスが落ちるとストレスが溜まる。ストレスが溜まると、余計なところにお金を使いやすくなる。本当なら10の力でできることに、15とか20とか使うことになって、どんどん疲弊する。疲れると考えたくなくなるし、体も動かんくなる。その負のスパイラルに入る前に、やっぱり整えんなんのです。
整えたい。私は整えるぞ、と思いました。
整えるためのお金は、贅沢じゃなくて投資
4ヶ月かけて、どう考えたらいいかの手順は教えてもらったはずやし、その型を使って自分でできんかなとも思う。自分でやりたい気持ちもある。でも、うーんって迷っとる間にも、パフォーマンスの低い日々は続いていきます。
だったら、人に頼むことにお金を使うのは、ただの贅沢じゃなくて、生活と仕事の土台を立て直すための投資なんやと思います。
整ってないことでパフォーマンスが落ちて、いらん外食が増えて、疲れて、仕事にも生活にもじわじわ影響が出ることを考えたら、長い目で見たら、整えるために使うお金の方がたぶん意味がある。
この家は、たぶんこの先しばらく住む家になる。だからこそ、使うところにはちゃんと使って、また土台から整え直していくぞ〜。
よし、整えるぞ。集合〜!🙌






















