小2の長女がフーセンガムをふくらませられるようになった

いつのまにか、うちの長女がフーセンガムをふくらませられるようになっていた。
びっくりした。
ずっと前から、
「どうやったらできるん?」
「なんでできんの?」
みたいな感じで、ぐぐぐ……と挑戦しとったのは知っていた。
でも、気づいたらできるようになっていた。
最初は本当に小さい風船だった。
それでも本人は、
「あ、なんかできそうな気がする!」
と言って、ちいさくふくらんだガムを見せに来てくれた。
できなかったことが、できるようになる。
それって、大人が思っている以上に、本人にとってはうれしいことなんだろうなと思った。
そもそも我が家に「フーセンガム文化」はなかった
そもそも、うちには「フーセンガムを買う」という文化があまりなかった。
ガムはあった。
でもそれは、いわゆるお菓子としてのガムではなく、キシリトールガム。
ノンシュガーで、キシリトール入りのやつ。
うちの実家では、なんというか、歯への情熱があった。
甘いものを食べすぎたら歯が溶ける。
お菓子なんて食べとったら歯がなくなる。
そんな雰囲気が、うっすらとあった。
だからガムも、
「お菓子を楽しむ」というより、
「キシリトールを摂取する」
みたいな位置づけだった気がする。
でも子どもからすると、ガムはガム。
ご飯のあとに、
「お菓子食べたい」
と言われると、
「あんた今ご飯食べたやろ」
となるけれど、
「ガム食べたい」
と言われると、なんとなく許せる気がする。
この差は何なんだろう。
お菓子ではある。
でもちょっと、歯に良さそうな顔をしている。
ガム、ずるい。
フーセンガムの作り方を教えるの、難しすぎる
それにしても、フーセンガムの作り方を人に教えるのって、めちゃくちゃ難しい。
だって、あれは口の中で起きていることだから。
「こうやって、こうして、ここで空気を入れて……」
と言いたくても、見せられない。
自分も、どうやってできるようになったのか覚えていない。
気づいたらできるようになっていた。
子どもに説明するために、ちょっと調べてみた。
そしたら、口の中の動きや舌の使い方を説明しているページが出てきた。
それを見ながら、
「なるほど、こういう感じらしいわ」
と伝えてみた。
そしたら長女も、なんとなくコツをつかんだらしい。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、風船らしきものができるようになっていった。
「できそうな気がする」
この感覚って、すごくいい。
できるかも。
もうちょっとでできるかも。
あ、ちょっとできた。
その繰り返しで、ちゃんとできるようになっていくんよね。
ガムを飲み込んでいた時代もあった
もちろん、ここに至るまでには時代があった。
ガムを噛んで、最後にペッと出す。
このシンプルなルールが、幼児にはなかなか難しい。
ちょっと前まで、普通に飲み込んでいた。
「さっき食べとったガムどうしたん?」
と聞くと、
「うん?」
みたいな顔をする。
いや、もう飲み込んどるやないか。
別に、最後はうんちと一緒に出てくるから大丈夫なんだろうけど、腹は立つ。
噛め。
せめてもう少し噛め。
ガムをお菓子のように、秒で飲み込む時代。
そんな時代を経て、長女はついにフーセンガムまでたどり着いた。
これはもう、なかなか感慨深い。
ひとつのガムを長く楽しめるの、いい
ガムって、よく考えるとすごい。
一粒でけっこう長く楽しめる。
噛んで、味わって、ふくらませて、失敗して、また挑戦して。
子どもに
「何食べたい?」
と聞いたときに、ガムを選んでくれると、ちょっと嬉しい。
甘いお菓子をどんどん食べるより、なんとなくハードルが低い。
しかも、フーセンガムを作るには、口の中をいろいろ動かす。
舌とか、唇とか、頬とか。
もしかして、口まわりの運動にもなっているのでは。
そう思うと、ますますガムへの心理的ハードルが下がる。
そしてなにより、本人が楽しそう。
これが一番いい。
できなかったことが、できるようになる。
それは、勉強とか運動とか、そういうわかりやすい成長だけじゃない。
フーセンガムをふくらませる。
それだって、ちゃんと成長だ。
で、結局。
うちの長女は、小学2年生になって、フーセンガムをふくらませられるようになった。
最初はちっちゃい風船だったけど、本人にとっては大きな「できた!」だったんだと思う。
我が家のガム文化は、キシリトールからフーセンガムへ。
そしてたぶん、下の子たちにもじわじわ継承されていく。
ガムの話、以上です。
おわりー。



















