最近、すごく思うことがあります。私、かなり恵まれてるな、ということです。

今のわたしの収入は、月10万円にいくかいかないかくらい。正確には収入というより、フリーランスとしての売上です。家計全体で見ると、ほとんど夫の収入に頼って暮らしています。

でも、家計簿の「収入」の欄を見ていて気づいたんです。うちに入ってくるのは、夫の収入とわたしの売上だけじゃない。子どもの手当、両方の実家からのお祝い、お年玉。現金だったり、物だったり。ひとつひとつは「子どもへのお金」や「お祝い」やけど、使うまでは一旦、家族全体の資産の中に入っている。

りつき

うち、いろんなところから支えられとるんやなあ。

「自分で自分を養えてない」後ろめたさ

昔のわたしは、「自分で自分の身を立てる」ということに、かなり執着していました。自分で自分を養えていないことに、どこか後ろめたさがあったんです。

奨学金を借りて大学に行って、車のローンを組んで、住宅ローンを背負って、日々なんとかやりくりしている人たちを見て、「自分の力で生きていてすごいな」って思ってました。それに比べて自分はぬくぬくしとる。甘えとる。そんなふうに感じていた時期が、けっこう長くありました。

りつき

苦労してない私って、なんかポンコツなんじゃ……?

思えば、スタート地点からかなり恵まれてた

でも今になって思うのは、わたしはそもそもかなり恵まれたスタート地点に立たせてもらっていた、ということです。

大学の学費は親が全部出してくれました。一人暮らしの家賃も、生活費も、水道光熱費も。車も家族が買ってくれました。就職後も実家に住んでいたので、家賃も生活費もほとんどかからず、お給料をそのまま貯めることができました。

当時のわたしは、それを今ほどの重みではわかっていませんでした。(なんなら仕送りを豪快に遊びに使って「今月ちょっと足りんくて」とか言っとった。ほんとすみません)

りつき

あの頃のわたしに、小言を言いに行きたい。

世の中には、奨学金というマイナスから社会人生活を始める人もたくさんいます。車が必要な地域で、カーローンを背負う人もいる。実家に頼れない人も、親との関係が悪くて、援助という選択肢がそもそもない人もいる。

そう考えると、借金なしで社会人生活を始められたこと。実家で暮らしながらお金を貯められたこと。結婚後も両家からいろんな形で支えてもらえてること。これ、本当に大きかったんやと思います。

「全部ラッキーでした」とも言い切れない

もちろん、「恵まれていたから私は何もしていない」という話でもなくて。

親との関係も、ずっと簡単だったわけではありません。苦手やなと思う時期もあったし、距離感に悩むこともありました。それでも爆発せず、完全に断ち切るでもなく、のらりくらりと関係を続けてきた。いいところだけを都合よく受け取っているようでいて、その関係性を保つために、自分なりに調整してきた部分もあったと思います。

だから今は、「全部自分の力です」とはまったく思わんけど、「全部ただのラッキーでした」とも言い切れない気がしています。

貯金が儚く見えていた頃と、見え方が変わった日

昔のわたしは、貯金にあまり意味を感じられませんでした。100万円貯めても、仕事を辞めたらすぐなくなる。1,000万円貯めても、生活費で数年で減っていく。会社員として働き続けても、収入が急にバグるわけでもない。

りつき

お金を貯めるのって、なんか儚いな……。

でも、投資という考え方に出会って、お金の見え方が変わりました。お金持ちは、現金だけで持っとるわけじゃない。資産として置いておく場所がある。時間をかけて育てるという考え方がある。それを知れたのも、わたしにとっては大きな転機でした。

線路の分岐が、ガチャンと切り替わった

たぶんわたしはどこかで、「生活は苦しいもの」「苦労こそ美徳」と思っていたんやと思います。苦労している人のほうがえらい。誰にも頼らず、ひいひい言いながら日々を回している人のほうが、ちゃんと生きてる。そんな価値観が、自分の中にずっとありました。

だから、恵まれていることに対して、「ありがたい」より先に「申し訳ない」が来てた。

でも最近、考え方が変わりました。恵まれていることは、後ろめたく受け取るものじゃなくて、ちゃんと感謝して受け取るものなのかもしれない。

今までの思考の線路は、「恵まれてる → 苦労してない → 申し訳ない → 私はポンコツかも」に自動で進んでいくやつでした。それが、「恵まれてる → 当たり前じゃない → ありがたい → ちゃんと受け取る → その上で、自分はどうしたい?」に、ガチャンと切り替わった感覚があります。

りつき

線路の分岐が、ガチャンって切り替わったんよ。

受け取ったものを、雑に扱わずに生きたい

今のわが家の暮らしが成り立っているのは、夫が働いてくれてること。両家が支えてくれてること。親世代・祖父母世代から受け継がれてきたもの。制度。タイミング。学び。そして、その中で自分たちが選んできたこと。全部が重なって、今があります。

だから最近は、「自分の力で生きてないからダメ」と思うより、「わたしはたくさん受け取ってきた。だからそれをちゃんと認識して、雑に扱わずに生きたい」。そんなふうに思っています。

行動が今日からガラッと変わるわけではありません。でも、受け取り方はもう変わった気がします。

という、思考ログでした。

りつき

ありがたいなあ、と言いながら、今日ものほほんと暮らします🙌